【雑記】他人の背中を眺めても違うのは当たり前だよ
前回の日記では旅行に出掛けていましたが、その前からを境に
自分の周りの変化があり、明確に境界を引かなくてはと思ったので線引をしました。
数年美術の欠片を拾っては集め拾っては集めをしていたけど
自分(ここでは自分達とは表記しません)では、美術とはなんたるものや
という命題に挑戦していたわけではなく、ただ側にあるものを見つめている気持ちでした。
ただ最初に気がつくのは、良さが分からないので何故じゃろ?と思考しても
だれかの言葉をみて答え合わせをしている人がとても多かったイメージ
もしかしたら自分もその一人だったかもしれない。
そんな事をしても、答えを見つけることはできないので
それなりにやってみてる(途中であります)
という視点を立った途端に、見えてくるのが「本当にこれでいいの?」と
感じてしまう事の多さでストレスが溜まってしまった事。
誰に向けるわけではないけどね
よくよく考えてみるといままでを清算するチャンスが 多分 いま
例えば、それって何が面白いんだろうって純粋に見つめてしまい
5時間経過してしまった事が最近ありました。(美術館に入り浸りってやつに見えるけど、とある現代作品)
答えを出せない自分がちょっと悔しかったりしました。
その時気がついたのは、多分到達したい所がないからだよねって事
自分は極めるという観点には立っていなかったから
これを理解したいと思わなくても良かったかもしれない。
かもしれない
とか言って、そこらへんウロウロしてるけどね
それでも美術は好きだからね
余談
次の子が生まれて男の子だったら那由多(なゆた)になると思います。